浄土宗 悟真山 光明院 善導寺

天満雅楽会(雅楽に興味のある方♪)

「天満雅楽会」のご紹介

「雅楽」(ががく)は古代日本に存在した歌舞と、5世紀から8世紀にかけて仏教文化と共に輸入された中国や朝鮮の音楽とが融合されて出来上がった音楽です。そもそも「雅」は「正」とイコールで「正統な音楽」であると、孔子(紀元前551~479)の時代に中国で意味づけられたそうです(遠藤徹『雅楽を知る辞典』)。日本では、大宝元年(701)に制定された大宝令で、国家的な行事の奏楽や奏者の育成を行うための機関として「雅楽寮(うたまいのつかさ)」が設置されるのが初例です。以降雅楽は平安時代には宮廷音楽として隆盛を極め、内容も日本人の好みに国風化していきました。『源氏物語』で光源氏が舞楽「青海波」を舞ったり、清少納言にして「篳篥(ひちりき)はいとかしがましく、秋の虫といはばくつわむしの心地して…」と言わしめたのは、公家社会での雅楽の盛行を如実に表しているといえます。
 しかし時代が下り中世の武家が中心となる世の中になると、雅楽は衰退していきました。ことに京都が焼け野原になった応仁の乱以降、楽人は離散し廃絶した曲が多数あったようです。江戸時代には世の中が安定し、徳川の庇護も受け少しずつ復活をとげたといいます。江戸末には民間への普及もみられたようです。明治初年には皇居が東京へ移転したことに伴い、太政官内に新たに雅楽局が設置されました。これが今日の宮内庁式部職楽部の前身であります。
 さて、現在雅楽といえば一般には「宮中の行事で…」あるいは「神社で結婚式のBGMで…」聞いたことがあるという話をよく聞きます。しかし、冒頭で申し上げたように、そもそも雅楽に吸収された渡来楽は仏教音楽(声明)とともに日本に輸入されましたし、例えば752年の奈良・大仏開眼法要にも雅楽供養されていますし、毎年4月22日は四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ…聖徳太子の命日法要)で雅楽奉納されています。又浄土宗に限りましても、4月の法然上人御忌大会には各本山とも、お勤めの中で雅楽を添えています。つまり、昔から現在に至るまで雅楽は仏教儀礼にとって欠かせない音楽となっているのです。
 善導寺では縁のある浄土宗僧侶が集い、一般の方も交えて月に1回お寺で雅楽のお稽古をしています。楽しく和やかに合奏することを目標にのんびりやっておりますので、ご興味のあられる方は遠慮なくお尋ねください。

2024年4月28日(日)開催 花まつり・雅楽演奏会の様子(1)「越殿楽残楽三返」


2024年4月28日(日)開催 花まつり・雅楽演奏会の様子(2)「蘭陵王」

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大阪市北区、天満寺町の一角にある浄土宗寺院。奈良東大寺の俊乗坊重源上人開基の摂津渡辺道場を発端とする。文禄元年(1592)傳譽慶公上人が念仏道場として開山した。江戸後期の町人学者・山片蟠桃、三曲合奏の先駆者・近藤宗悦、大阪画壇の西山芳園、完瑛父子の墓がある。

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